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  • 飯田聖潔教会 柳 承吉牧師

福音の力 ローマ人への手紙 1:7-17

教育目標: 全人類に告げ知らせるよう神が命じておられるメッセージが「福音」であることを知って、完全な救いを達成するようにする。


福音が力であるというのは福音が人を変わらせる事を意味します。

主イエスを信じると救われるということは、人が神様に愛されるような民に変わり、聖なるものとして聖別されるという神様の強い意志が表わされているのです。

福音はこの世の知恵の産物ではありません。

福音は上から来たもので、神が人類になさった最上の神々しいみわざです。福音のため、神さまは数千年間預言者たちを通して予告し、<ローマ人への手紙 1:2>ついに父のふところにおられるひとり子であるイエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。

それは一人のたましいを罪から義に変える力<ローマ人への手紙 1:17>で、この世のどんな力より偉大な力です。

ただ福音の中にある力だけが人類を救うための神の力です。

神おひとりのほか罪を赦す方は誰もいないからです。


福音は人間の霊を新しくする力があります。

汚れたものの中からきれいなものを救い出すことは人間の力ではできません。しかし、キリストの福音は人類を罪ある者から、また、罪の支配から救い出してくれます。救いは人間と神との共同作品ではありません。ひたすら神の恵みなのです。<ローマ人への手紙 3:24>。神は聖霊の働きを通して毎日人間の霊を新しくされます。これは神のかたちへと完全な回復のための神様の配慮です。


福音はすべての民族、あらゆる国の人々のためのものです。<マタイの福音書 24:14; 28:19>。しかし、福音はユダヤ人に先に宣べ伝えられて、彼らに神の色々なお言葉をゆだねられました。<ローマ人への手紙 3:2>

キリストは、福音がエルサレムから地の果てにまで伝えられると仰せになりました。<使徒の働き 1:8>

福音は社会的階級や民族や人種に差別なく人類を救う神の力です。その福音はすべての人に必要である所以です。福音はすべての人に無償で与える神の愛であり恵みです。ただ人間は信仰によって福音に進むだけで良いのです。これが救いに至る条件です。


パウロはこのように、最も根本的で永遠で強力な力である福音を力強く伝えました。

パウロが福音を恥としない一番根本的な理由は、それが神の救いの力であるからです。福音を誇りに思って伝えなければなりません。

福音を恥としない信仰を持つ者だけが、まことの福音の特権を知る人です。私たちも福音にふさわしい生き方をしなければなりません。

<ローマ人への手紙 1:17>「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』」とあるとおりに、みことばを心に刻んで福音にふさわしく生きる私たちとなりましょう。


福音には力があります。神の力は福音の中にあります。

何よりも福音は私たちの本質を変えてくれる力があります。

使徒パウロは<ローマ人への手紙 1:7>に「ロ―マにいるすべての、神に愛されている人、召された聖徒たちへ」と手紙を書きました。

使徒パウロはローマにいるキリスト教の聖徒たちに対して二つの表現を用いています。

「神に愛されている人」と「聖徒」です。福音を聞くと神様に愛される人になります。


過去には、私たちは地球に投げ出された一握りの砂粒のような存在でした。私はどこから来て、何の為にこの地上で生きて、最後にはどこへ行く存在なのか、自分の人生の意味が何なのか全く知るすべがありませんでした。この世で、敵である悪魔の影響下で、また罪の束縛の中で生きてきた私たちでしたが、イエス・キリストに出会って福音を受け入れると、直ちに私たちは神様の愛の対象であることを悟るようになりました。その悟りを通して私たちは神の子どもになりました。

私たちはみんな、これからは永遠なる神様の愛の対象であることをもう一度心の中から信じ確信して感謝を体験することを願います。

神様に愛されるとその人は聖徒となります。私たちは生まれながら罪の性質を持った罪人です。心の中の罪の性質のため、自分も知らない言葉や行動や態度や習慣と人格などに欠陥が生じます。

また、罪の性質のためにこの地で生きながらたくさんの罪を犯してきました。私たちは罪人です。不完全な存在であり、有限な存在です。そのような神様の愛を受ける資格もない私を神様が愛してくださるのです。


永遠の前から愛しておられ、今日も永遠なる愛をもって私たちを愛してくださる神様の愛のメッセージを聞き、まさに私が神様の愛の対象であることを悟ってイエス様を受け入れる時に、神様はイエス様を通して私たちの罪をすべて覆ってくださり、私たちを代価なしに神様の恵みで義と認めてくださいます。

罪の性質が無くなったわけでもなく、犯した罪がないわけでもありません。それなのに神の御子がこの地上に来られて私たちを愛してくださったために、私たちはみんな神の子どもになって、今は罪のない人として神様から認められるようになりました。

それで神様と私たちの間には永遠の平和があります。防げられない平和があります。昔は罪のゆえに神と私たちの間が分離されていましたが、今はイエス・キリストの福音のゆえに神と私たちは永遠に一つです。皆さんと私は神の愛の対象となって、永遠の平和を今からとこしえまで享受することになりました。


私たちは変わりました。イエスさまを受け入れる前の人ではなく、福音を聞く以前の人ではありません。今は救われた聖徒となって聖なる国民として、神の子どもとして、永遠なる神の民になったことを信じて生きるのです。

私たちは神様の愛の対象である聖徒ですので、神の恵みと平和が私たちの一生の間ずっと一緒にあります。<ローマ人への手紙 1:7>「私たちの父なる神と主イエス·キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」とある通りです。


この世には平和がありません。しかし今は神様が私とともにいてくださり、私を導いて守ってくださいます。最後に私たちが一生を終えるころ、神様は私たちを神の国へと導いてくださいますので、平和は私たちのものです。最後の平和だけではなく、毎日主とともに歩む生き方を通してこの地上でも平和を所有するようになりました。私たちの身分が変わりました。罪人が義人になりました。敵である悪魔の子どもが神の子どもになりました。そして私たちの国籍は天国にあります。私たちは神様に愛される人になりました。福音は私たちにこの愛を伝えてくれます。この愛のゆえに私たちの身分が永遠に変わりましたので神様に心から感謝しましょう。


福音は私たちの信仰を他の人々に伝える力があります。

福音によって新しくなった心の変化は、福音を伝えるように働きます。福音を伝えたくなります。そして福音は私たちから次第に広がっていきます。ローマ教会の人々もそうでした。パウロは、

<ローマ人への手紙 1:8>「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」と手紙を送りました。

つまり、ローマの聖徒たちの信仰が世界の隅々に伝わったということです。

私たちも同じです。私たちの中で、ある方は家族のうち初めてイエスを受け入れた人がいます。初めて福音を受け入れた私たちがいましたので、家族のなかで父親、母親がイエス様を信じるようになり、そして家中、親戚、友達がイエス様を受け入れる経験をしていると思います。

使徒パウロは迫害者でした。しかし変えられて、神の福音と神の愛を伝える人になりました。人が変わりました。私たちの胸に信仰心が生じると福音を伝えたくなります。

過去に罪に染まっていた人が、今はイエス・キリストの福音を通して神様の永遠の愛と神の平和を悟って神の恵みを心の奥から感じるようになりました。神の恵みに気が付くと、周りの人々も自分のように神様の子どもになることを願うようになります。


使徒パウロがローマにいるキリスト教の聖徒たちに信仰を伝えたように、私たちの信仰も人々に伝えることを願います。『私』から始まって私の家族もみんなが神様の永遠なる愛を悟り、神様の愛を伝える働き人となることを願います。


使徒パウロは福音を伝えるために何としてもローマに行く良い道を得ることを求めていました。<ローマ人への手紙 1:13>「兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」とある通りです。


神は、昔は罪人だった私たちを福音によって正しいとされ、義と認めてくださるのです。この驚くべき恵みを受けた人は、「私も周りに霊的な実を結びたい。」と願うようになります。私たちは生命の木についている枝です。生命の木に伝道の実、救いの実がいくつ位付いているのか一度考えてみる必要があります。


この世のすべてのものはやがて消え失せます。私たちが死ぬと、持って行けるものは何もありません。ただ一つ、私たちが伝道して救われた人々は、私たちとともに永遠に生きるでしょう。私たちの父親、母親、夫、妻、子供たち、兄弟姉妹、愛する人々がともに神の国に入ることになります。


私たちを通して多くの人々が救われる祝福が必ず現われることを願います。そして、このような祈りを捧げます。「父なる神様、神様は私の身分を変えてくださり、私を神様の子どもとして神様の愛を悟るように恵みを注いでくださいました。どうか私が良き命の木となって、私の人生の中で命の実をたくさん結び、その命の実とともに永遠なる神の国に入ることができますように導いてください。」


<出エジプト記 20:6>「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」とあります。私たちは千代にまで神様の恵みを伝える人になりましょう。私たちは神を信じて救われ、神様の御前で献身して新しい存在の本質を得ました。

したがって代々の人々が神様の大きな恵みを体験する信仰の祖先になることを願います。そして、イエス様の再臨の時、世界中の人々が主のみ前に集まり、そこに私たちの子孫が大きな民族を成す祝福があることを願います。


<ローマ人への手紙 1:14>「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」とあります。ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、老若男女を問わず神様にはみんなが大切な存在で、尊い存在です。福音は誰でも信じる人に救いを与える神の力です。

使徒パウロに多くの伝道の実が実ったように、私たちにも豊かな伝道の実が実ることを願います。


福音を聞いた人々は変わります。福音を聞く前は理解できません。しかし福音を聞いたら人は変わります。私たちも福音を聞きました。誰かが私たちを招いてくれて、また福音を伝えてくれたので神の子どもになりました。

使徒パウロはローマにある教会に福音を伝えることを望みました。そのように、ローマにある教会に福音を伝える人がいましたのでローマに教会が建てられました。ローマ教会は信仰がよい教会でした。しかし、使徒パウロはローマ教会が福音を聞き直さなければならないと言いました。


教会が古くなると伝統が築かれて力が生じます。 教会が長い伝統を持つようになっても常に新しくならなければ老衰現象が起こります。救いの感激や情熱的に主を愛する心が冷めます。長年の教会の持つ弊害です。そうなってはいけないのです。


福音は信じる者を救う神の力です。

福音はまた、信仰に始まり信仰に進ませる力があります。私たちは信仰によって救いを得ました。しかしそれで福音の使命が終わったのではありません。信仰に始まり信仰に進ませなければなりません。信仰が冷めた時、どのように回復すればよいでしょうか。

福音を再び聞く時、私たちの冷めた心がまた熱くなります。救いの働きは信仰がさらに信仰になるようにすることです。


それではここで福音をもう一度聞かなければならない二つ目の理由を説明します。

<ローマ人への手紙 1:16-17>「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と使徒パウロは言いました。私たちはここで、使徒パウロがローマにある教会に福音を伝えようと望んだ二つ目の理由がわかります。消えていく福音の力を回復しようとしたのです。


「福音のうちには神の義が啓示されていて」と言うことばは「福音のうちには救いが現れて」と言い変えることができます。

ここで、「神の義」と言うことばは何を意味しているでしょうか。それは律法の良い行いをもって義を実践して救いを得るというのではなく、神様がイエス・キリストのあがないを通して成してくださった義を信じるだけで「義人」として認めてくださった。つまり、神様が私たちに救いの道を開いてくださったのです。信仰によって得る救いですが、ここで私たちの罪を赦してくださる赦罪(しゃくざい)と、私たちを正しいと認めてくださる義認(ぎにん、Justification)、そして神と和合する命をくださったことです。


<ローマ人への手紙>は、このような素晴らしい救いの恵みを私たちが悟るよう記録した聖書です。これらのすべてが神の義が与えてくださる賜物であり、幸です。

私たちは「神の義」によって救いを得ることができます。<ローマ人への手紙 3:20‐22>「なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」と書いてあるとおりです。


ところが、この救いには霊的な救いだけがあるのではありません。

この世の現世的な人生のための救いもあるということです。

神様はなぜこの世の福と肉的な福を救いに含めて一緒に与えてくださるのでしょうか。罪がこの世に入るようになり、この世は苦しみと死でいっぱいになりました。また、互いに憎み合い恨み合った罪、不安になって、恐れる罪、厳しい疲れで生きる力までなくなるこの世になりました。また、これらのことによって人々は肉体的な病気にまで悩まされるようになりました。しかし、福音を受け入れた人々は救いの恵みに感謝して喜びます。


感謝して喜んで生きる人々にはこの世の不安、苦しみ、恐れ、労苦、疲れ、不平、不満、ストレス、ノイローゼなど、これらのすべてがなくなります。不安だった人が平安を持つようになります。

孤独だった人が主とともに人生を歩むことで寂しくなくなります。恨み、不平、落胆、憂い、心配した人がこのすべてを主に委ねて心が休まり、自由を得ます。傷つき、敵意等のすべてが和解と赦しで解決されます。

永遠なる天の御国を望んで生きるようになりますので、この世のことで悲しんだり、焦ったり、落胆したりがなくなります。

つまり、たましいの健康が精神的な健康をもたらしてくれるのです。また、精神的な健康が肉の苦しみに勝ち、健康まで与えられるのです。それだけでしょうか。酒、タバコ、賭博、淫乱、このすべての悪い罪とも別れ、誠実な人生を送るので家庭が幸せになります。

たましいの救い、つまり来世の救いだけではなく、この世のすべての精神的な領域と肉的な領域にもその結果が及ぶことになります。使徒パウロはこの福音の力を伝えるためにローマの教会へ再び福音を伝えに行きたいと願いました。


福音、それ自体が与える力、イエス様を信じる人々に与えてくださる聖霊の力、これが福音の力です。私たちもこれを受け入れなければなりません。教会も個人も家庭もこの力なくしては信仰生活ができません。福音の力を第一として揚げる教会になるべきです。

福音の力で武装しなければ世に勝つことができません。この福音の力、聖霊の力で生きるためには福音を常に話さないといけません。また、よく福音を聞かなければなりません。聖徒がなぜ聖霊の力を受けずに力がないのでしょうか。なぜお互い赦し合わないのでしょうか。

なぜ救いの感激と喜びを持てないでしょうか。なぜ罪を犯すのでしょうか。

なぜ悔い改めることができないでしょうか。イエスの御名を呼ぶことはできます。しかし、なぜ福音の力を失い、聖霊の力を失って、低迷しているのでしょうか。

福音は力です。力にはダイナマイトという意味があります。

これが爆発すると驚くべき力に変化しますが、火をつけなければ爆発しません。同じように私たちが福音を信じなければこの力は発揮できないのです。聖霊は単純な力ではありません。


この聖霊はどんなことをするのでしょうか。

聖霊は福音であるイエス・キリストを表して証しているのです。この聖霊から私たちは力を受けて生きなければなりません。この力が、頑固で荒々しい人であるサウロをパウロにしました。この力が、私たちを救い、また私たちを救いの道に道いてくださいます。この力が、多くの義の実、救いの実を結びます。


福音を聞いて知ることに努めましょう。福音を信じましょう。この福音を聞くことによって救いの感激が回復されます。感謝と喜びを持って信仰生活をしましょう。

信仰によってみことばに聞き従って実を結ぶ信仰生活をしましょう。


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