検索
  • 飯田聖潔教会 柳 承吉牧師

福音の基本2 救いの摂理

更新日:8月25日

「ただイエス・キリストの御名によって」‐救いの摂理‐

読むみことば: 第一コリント人への手紙 2:6-9


教育目標: 人類の救い主であるイエス・キリストを正しく知り信じて、完全な救いを達成するようにする。


1.救いの摂理 その1

今回はなぜ、私たちが主イエスを信じる時に救われるのか、どうすれば救いの道に進めるのか、その救いの摂理について学びましょう。


神は敵である悪魔・サタンの奴隷になった人類を救うために、罪と死の原理から解放する方法を世界の始まる前からあらかじめ定められました。しかし、時が来るまで、イエス様が十字架につけられて死なれてよみがえられるまで、この奥義を徹底的に隠しておかれました。

<第一コリント2:7>に「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。」とあります。


それでは、隠された神の奥義とは果たして何でしょうか。

アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べた直接的なきっかけはサタンが蛇を操ってエバを惑わしたためです。アダムが罪を犯してのろわれた時、神はすでに人類の救いについて預言されました。

<創世記3:15>に「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」とあります。

ここで「女」とは、イスラエルを意味して、「女の子孫」とは、イスラエルの民であるヨセフの子としてこの地上に来られるイエス・キリストを意味します。

<ヨハネの黙示録12:5>に、「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。」とあって、イスラエルでお生まれになったイエス様を「女が産んだ男の子」と表現しています。


このように、神さまは敵である悪魔・サタンの権威を砕いて人類を救うイエス様が来られることと、敵である悪魔・サタンの策略によって、十字架にかかって死なれることを予め教えてくださいました。

敵である悪魔・サタンも、イスラエルから救い主が出て自分たちの権力を奪っていくことを知っていたので徹底的に攻撃しました。後に来られる救い主だけを殺せば自分たちは空中の権威を持って、この世を支配する権力を永遠に持てると考えたのです。

そして、「いつ頃その女の子孫が生まれるか」と待ちながら、神に愛される人が現れるたびに、さまざまな方法で攻撃したのです。


ついに今から2000年余り前、イエス様はイスラエルのベツレヘムでお生まれになりました。そこで敵である悪魔・サタンは当時、イスラエルの地を統治していたヘロデ王を操ってイエス様を殺そうとしました。しかし、神さまはイエス様の父親であるヨセフの夢によって、イエス様がエジプトに逃れるようにされました。

このように、敵である悪魔サタンはパリサイ人たちや祭司長など、悪い人々をそそのかして、絶えずイエス様を殺そうとしましたが、神様が守ってくださいました。しかし時になって、イエス様は悪い者たちに捕えられて、十字架にかけられて死なれました。


このように神がイエス様を守ったことも、イエス様が捕らえられたこともすべてが神さまの摂理で成し遂げられたことですが、敵である悪魔・サタンはイエス様を殺すことですべてが解決されると思いました。

蛇の頭を踏み砕く女の子孫を十字架につけられて死なせたので、これからは自分たちがとこしえに権威を持って支配すると思いました。

ここに神さまの知恵があります。それはイエス様を殺すことによって敵である悪魔・サタンはむしろ自分の謀略にはまり、ひたすら救い主を抹消しようとする一念のため、神さまの摂理をなす道具になってしまいました。


ところが、<ローマ人への手紙6:23>に「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則に従って、「死」という刑罰は「罪人」にだけ該当されます。

逆に言えば、罪のない人には死という刑罰を与えることができないのです。イエス様は原罪がなく、自ら犯した罪もないので、死に至る理由がありませんでした。ところが、敵である悪魔は罪のないイエス様を殺しましたので、結果的に霊の世界の法則に逆らったことになるのです。

このように、敵である悪魔は霊の世界の法則を破ったので、自分の権力、つまり人々を治めて死を支配する権力を失ってしまったのです。


イエス様は十字架につけられて死なれましたが、罪がなかったため、敵である悪魔の死を支配する権力を打ち砕いてよみがえられました。そして信仰によって主と一つになったたましいは、敵である悪魔・サタンの死の支配から免れて天国に入ることができました。

<ローマ5:18-19>に、「こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」とあります。


「女の子孫が蛇の頭を踏み砕く」という創世記のことばが正確に成就されたのです。人類の救いの摂理はどれほど驚くべき神の知恵でしょうか。最初は、アダムとエバが神のことばに不従順だった罪で霊の世界の法則によって「必ず死ぬ」との仰せの通りに死の刑罰を受けました。

それから約4千年が経ってからは、敵である悪魔・サタンが霊の世界の法則を破ることで、死を支配する権力を失ってしまったのです。


2.救いの摂理 その2

敵である悪魔は策略をめぐらして自分の権威を守ろうとしましたが、神さまはこのような策略をすべて知っておられて、世界の始まる前から人間の救いの道を備えておかれました。もし敵である悪魔が十字架の摂理を悟っていたら決してイエス様を捕まえて殺すことはなかったでしょう。

<第一コリント2:8-9>に「この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。まさしく、聖書に書いてあるとおりです。

『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』」とあります。


したがって、神は十字架の事件を通して救いの歴史が完全に成されるまでには敵である悪魔・サタンが全く分からないように徹底的に秘密の中に隠しておかれました。

神の御姿であられるイエス様もこのような摂理を知っておられましたので神のみ心にしたがって死なれ、これを通して救いの摂理がなされたのです。

<エペソ人への手紙 2:8>に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とあります。

また、<ローマ人への手紙10:10>に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。誰でも主を信じて主と一つになれば、神の恵みによって救いを得ることができるのです。


それでは、私たちが信仰によって主と一つになるということは何を意味するのでしょうか。口先だけで、『主よ、信じます。』と言っても、救われる本当の信仰があるとは言えません。心に信じて義と認められ、行ないによって信仰の証拠を見せなければなりません。

イエス様は<ヨハネの福音書 6:56>に「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。」とお話しになりました。

人の子の肉を食べ、またその血を飲むとは、神さまのみことばを糧として神さまのみことばを行なうことです。私たちが神さまのみことばを糧として定めて行えば私たちは主のうちにとどまり、主も私たちのうちにとどまってくださいます。


主を受け入れたからといって、すぐに真理のみことばを守りながら生きることは容易ではありません。しかし、守るために努力する心である時は、神様もこれを信仰として認めてくださいます。このように、みことばを霊の糧とし、主を見習って生きることが信仰によって主と一つになる方法です。 


皆さんが主なる神さまを真実に信じるなら、当然そのみことばを信じて、みことばのとおりに守って行うために努力します。

<ヨハネの手紙第一 1:7>に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあるように、私たちも光である神さまのみことばを行う時、御子イエスの血が私たちをすべての罪からきよめます。


そしてイエス様が十字架につけられて死なれてからよみがえられたように、後に私たちも復活の栄光をともにすることができますし、永遠なる天国で幸せを享受することができます。

<ヨハネの黙示録3:20>に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とあります。

 だれでも、主の声を聞いて戸をあけるなら、主は彼とともにいてくださると約束して下さいました。私たちが心の戸をあけて主イエスを受け入れると罪が赦されるのです。

私たちが心の戸を開くためには、まず思いの戸を開かなければなりません。神様のみことばを聞く時、自分の思いと知識に頼らず、みことばを認めて受け入れなければなりません。


「目に見えない神をどうやって信じるのか?」「おとめがみごもったとか、死んだ人が生き返ったとか、理解できない。」このように疑って否むのではなく、自分の知識と思いを超える神さまの力を認めなければなりません。

天下万物を見ても神を信じることができる証拠はいくらでもあります。また、人の力では不可能なことでも神様にはなんでもできることがわかります。

ですから、へりくだった心で自分の思いを打ち砕いて、「神様は全知全能の創造主で、神様のみことばはまことだ」と認めなければなりません。

このように心の戸を開ければ、神様が私たちの心に聖霊を与えてくださいます。<使徒の働き2:38>。聖霊は私たちにまことの信仰とみことばどおり生きる力を与えてくださいます。これがまさに、水と御霊によって生まれることで、このように水と御霊によって生まれた人々は神の子どもであり、天国のいのちの書にその名が書きしるされている天国の国民になります。

この地上でも守るべき法があるように、天国の国籍を持った天国の国民ならば、天国の法を守らなければなりません。つまり、創造主であり、私たちの父であられる神様のみことばを守り、行なうのです。

このように、天国の法に従って生きる時、敵である悪魔・サタンに訴えられず、天国に至る時まで神様に守られて祝福されることができます。


<使徒の働き 16:31>に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とあります。

神様は、私たちが信仰によって救われるすべての過程を、徹底した公義の法則にしたがって成してくださいました。救いの摂理は誰も知らない隠された奥義として神様の恵みと主の愛によって成し遂げられました。


愛の神様は今も休まず救われる人々を探しておられ、福音を聞くようにされます。それで、多くの人々を救いに導いてくださるのです。

ですから心の戸を開けてイエス・キリストを受け入れ、信仰によって一つとなり、よみがえられた主と共に永遠の御国で幸せを享受するように主の御名によってお祈りいたします。




閲覧数:3回0件のコメント

最新記事

すべて表示

教育目標: 全人類に告げ知らせるよう神が命じておられるメッセージが「福音」であることを知って、完全な救いを達成するようにする。 福音が力であるというのは福音が人を変わらせる事を意味します。 主イエスを信じると救われるということは、人が神様に愛されるような民に変わり、聖なるものとして聖別されるという神様の強い意志が表わされているのです。 福音はこの世の知恵の産物ではありません。 福音は上から来たもの

「福音」 読むみことば: ローマ人への手紙 1:8-17 教育目標: 全人類に告げ知らせるよう神が命じておられるメッセージが「福音」であることを知って、完全な救いを達成するようにする。 1. 福音とは その1 「福音」とは「喜びのおとずれ」という意味です。 福音は死と破滅の影の中にいる人類に救い主であるキリストが訪れたという喜びの知らせです。ですから、私たちは福音という良い知らせを絶えず伝えなけれ

福音の基本  救い主イエス・キリスト 読むみことば: ヨハネ1:1-4 今日の教育目標: イエスは神の御姿であられる方で救い主の使命を果たすために人としての性質をもって現われたことを悟って神様の愛を知るようにする。 聖書の核心は「イエス・キリスト」です。 旧約聖書は救い主として来られるイエス様を予言し、新約聖書はこの地上に来られて旧約の預言と救いを成就したイエス・キリストの働きを記録したものです。